20年ぐらい前に沖縄旅行に行ったときに、沖縄には鉄道が無いことを知りました。その翌年にモノレールである「ゆいレール」が開通しましたが、私が訪れたときは、日本で唯一鉄道が無い都道府県だったんですね。それ以来、私は勝手に、沖縄県の初めての鉄道がゆいレールだと思い込んでいたのです。
でも違いました。
場所は沖縄本島から約400kmも東にある孤島・南大東島に、明治・大正・昭和と3つの時代を走り抜けた鉄道があったのです。その名は、
「シュガートレイン」。
ゆいレール以前の沖縄に多くの鉄道があった
那覇空港や那覇市の各所を結ぶモノレール「ゆいレール」は2003年の開業ですが、調べてみると、沖縄県には過去に数多くの鉄道が存在していたようです。ここで、その一部を紹介しますね。
◆沖縄県営鉄道
1914年(大正3年)開業
まず那覇 – 与那原が開業。その後、嘉手納までの嘉手納線、糸満までの糸満線が開業した。1945年(昭和20年)まで営業。
◆沖縄電気軌道
1914年(大正3年)開業
まず大門前 – 首里間が開業、1917年(大正6年)に大門前 – 通堂間が開業した。1933年(昭和8年)まで営業。
◆沖縄人車軌道
1914年(大正3年)開業
まず与那原 – 小那覇間が開業、1916年(大正5年)まで順次与那原 – 泡瀬間が開業した。1944年(昭和19年)まで営業。
◆糸満馬車軌道
1919年(大正8年)開業
まず垣花 – 地覇間が開業、1920年(大正9年)那覇市と糸満市までに全線が開業した。1935年(昭和10年)まで営業。
◆南大東島砂糖鉄道(シュガートレイン)
1902年(明治35年)開業
当初は人車軌道(人力でトロッコを押す鉄道)でスタートし、1916年(大正5年)に経営者が変わったことがきっかけで蒸気機関車を導入。サトウキビ運搬用の鉄道。1983年(昭和58年)まで営業。詳細は次節で。
人力、馬力、蒸気と動力は様々ですが、こんなにもたくさんの鉄道があったんですね。
これ以外にも。イベント会場内を運行した鉄道や、公園内を遊覧する鉄道、詳細な記録が無い産業用の鉄道がたくさんあったようですがここでは割愛させていただきます。
◆参考サイト
沖縄県の鉄道 – Wikipedia
南大東島のサトウキビ運搬用鉄道・シュガートレインの歴史
さて、ここからが今回の本題です。
2003年に開業したゆいレールが沖縄県で初めての鉄道だと思っていた私は、それよりはるか昔、明治時代に、しかも沖縄本島ではなくはるか東の孤島・南大東島に鉄道があったという話を聞き、驚くどころかものすごい衝撃を受けました。
南大東島と言えばサトウキビの産地として有名。島の面積のほとんどがサトウキビ畑という感じの島です。そんなのどかな風景の中を、蒸気機関車が走り抜けていく姿を想像し、ものすごいロマンが掻き立てられました。
1902年(明治35年)、南大東島に初めて鉄道が運行しました。1900年にサトウキビの栽培のために南大東島に移住してきた玉置半右衛門らによって敷設されました。当時はトロッコのような列車を人力で押すといういわゆる人車軌道でした。まだ開拓されてない島で、ましてやガソリンの自家用車など存在しない時代でしたので、レールを設置してトロッコを押す、というのがサトウキビを運搬するための最適解だったのだと思います。玉置半右衛門はその後、順調にサトウキビ栽培の事業を大きくしていき、それに伴って鉄路の延長も長くなっていきました。
1916年(大正5年)、サトウキビ事業は東洋製糖株式会社に売却され、それを機会に蒸気機関車が導入されました。そして事業拡大に伴い、軌道の総延長は約29Kmにも達しています。
1950年(昭和25年) 戦争で休止していた南大東島のサトウキビ事業でしたが、この年、宮城仁四郎が大東糖業株式会社を設立し、戦争で半壊した鉄路と工場を復旧。翌年にシュガートレインも操業を再会しました。そして時代の流れと共に、蒸気機関車からディーゼル機関車に置き換えられました。
1983年(昭和58年) 急速な車の普及に伴い、サトウキビ運搬はトラックに置き換えられ、この年の収穫を最後にシュガートレインは営業を終了しました。
すごいですよね。南大東島の長い歴史から見ると、1983年なんてごく最近のような気がします。そんな時代まで南大東島には鉄道があったのです。前節でも紹介しましたが、沖縄の過去の鉄道はほとんど戦後復活しませんでしたので、昭和の後半に運行していた沖縄の鉄道はシュガートレインが唯一になります。
で、ぜひ走っている姿を見てみたいと思い、映像を探してみまたら、ありました。
何かのドキュメントでしょうか、それとも観光PR用? どちらにしても貴重な映像ですね。
手すりも無い荷台に立って乗っていたり、たくさん人が乗っているのにタバコを吸っていたり、なんとも「昭和っぽい」映像ですね(笑) とても良い感じです。
この映像の途中にシュガートレインの路線図が出てくるのですが、
島を一周する路線と、港を結ぶ路線があり、なんとも充実した鉄路ですよね。いまでも一部の線路は残っているようです。
いまの時代では利用する人も運ぶ荷物も無いのはわかっているのですが、現代までこれが残っていれば1つの観光の目玉になっていたような気がしますね。
そう、そのように考えたのは私だけじゃなかったのです。
シュガートレイン復活計画
シュガートレインのことを調べていたらこんなニュースを発見しました。
2013年9月のニュースですが、内容は、
・南大東村で「シュガートレイン夢復活実現事業」として予算計上
・2014年度に着工し、2015年度にも完成する予定
・目的は観光客の誘致
・規模は未定だが、「赤沢森林鉄道」(1100m)くらいの規模と思われる
え? シュガートレインが復活?! マジか!!
と一瞬狂喜したのですが、よく見たら、
ん? 2015年度に完成?? 今はもう2022年だよ??
で、この続報を探したのですが、ニュースサイト等には一切出てこないのです。
ただ、個人ブログで何件か記事になっているのを見ると、
「島の誇り「シュガートレイン」復活断念 沖縄・南大東島」
というニュースが2015/9/7の朝日新聞デジタルに載っていたいたらしいです。
その記事によると、
・「シュガートレイン」の復活が「幻」になった
・採算が見通せないため断念した
・村は代わりに、遊具として2・7キロ走らせる計画を進めている
とのことです。
そうかー、ダメだったのかー、それは残念です。
というか採算がとれないのは最初からわかっていたと思うのですが、それでも島全体の経済効果を考えて計画したのでは?
不思議なのは、該当する朝日新聞のニュース記事はすでに削除されており、朝日新聞以外のニュースサイトにも一切この話題が出てこないってことです。2013年に大々的に計画を載せていた琉球新報でも、それ以降取り扱われていないのです。
これは何なんでしょうね??
報道管制??
もしかしたら一時的に計画が中断しているだけとか???(←希望的観測)
遠い北海道の地から勝手なことを言うなって感じですけど(^_^;)、こういうのはとてもロマンを感じますので、なんらかの形で復活して欲しいなと思います。
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