国道240号線を美幌から阿寒湖方面に向かって走ると、阿寒湖の少し手前に道の駅「あいおい」があります。そこは、旧国鉄「北見相生駅(きたみあいおいえき)」があった場所で、駅舎やプラットホームが当時のまま遺されています(駅舎は復元されたものらしい)。上の写真はその旧北見相生駅の構内で撮影したものです。
北見相生駅は美幌から阿寒湖方面へ延びる相生線の終着駅として、1925年(大正14年)に新設されました。現在の相生地区(津別町)は過疎化が進み75世帯があるだけですが、当時はもっとたくさんの人が住んでいたのだと思います。
もともと、相生線は石北本線の美幌駅と根室本線の釧路駅を結ぶ「釧美線(せんびせん)」の一部として計画されていました。釧路側も1923年に北海炭礦鉄道(後の雄別炭礦鉄道)として旧阿寒町雄別まで開通していたのですが、それ以降はどちら側も延伸されることなく、雄別炭礦鉄道は1970年に、相生線は1985年に廃止になってしまいました。まさに幻の路線ですね。釧路まで繋がることを夢見ていた沿線の方たちの気持ちを考えるとやりきれません。
当時の阿寒湖は、まだ温泉としても歴史が浅く、今ほどの大規模な温泉街は無かったようですが、昭和に入ってからは観光拠点として発展したので、なぜ最低でも阿寒湖まで延伸しなかったのか不思議です。間に峠があるとは言え、相生まで来ればもう目と鼻の先なのに。
まだマイカーが普及していなかった昭和初期に、鉄道が敷設されていれば阿寒湖温泉の歴史も変わっていたかも知れません。ただ、当時の考え方として、鉄道はあくまでも生活のためのものであり、観光やレジャーは二の次だったのかもしれません。税金で整備していたものですからね。
現在は公園や道の駅として多くの人が訪れている北見相生駅。廃駅の余生としては最高の状態かもしれません。でも、私は訪れるたびに、その歴史を振り返り、少し寂しい気持ちになります。
相生線、そして幻に終わった釧美線。そこに多くの人の夢があったことを、私は一生忘れません。