日本最北端の地は宗谷岬ではなく「弁天島」
みなさん、「日本最北端の地」はどこだかご存じですか?
一般には北海道の宗谷地方にある「宗谷岬」が最北端だと思われています。これは半分正解で、確かに日本の本土の最北端は宗谷岬です。でも、実は宗谷岬の少し東側にる宗谷村珊内の沖合1.2kmの場所に無人の島があり、その島はほんの少しだけ宗谷岬より北にあるのです。
その島が、北方領土の除いた「日本最北端の地」ということになります。
その島の名は、
「弁天島(べんてんじま)」
今回は、最北端の地・弁天島の概要と、その島にまつわる伝承についてお話したいと思います。
実は他にもあった「日本最北端の地」
実は、「日本最北端の地」と呼ばれる場所が他にもありました。
その昔、礼文島の最北端にあるスコトン岬(須古頓岬)も日本最北端の地を名乗っていたのです。しかし、測量技術の発達のより、宗谷岬に負けていることが判明し、現在は「最北限の地」に変更しています。(意味はよくわかりませんが、あまり深く考えてはいけません。)
そのスコトン岬の北の沖合に海驢島(トド島)が、さらに北に種島がありますが、すべて宗谷岬より南にあることが判明しています。
・弁天島:北緯45度31分35秒
・宗谷岬:北緯45度31分22秒
・種島:北緯45度30分20秒
・スコトン岬:北緯45度27分51秒
さらに北方四島まで含めると、択捉島の東の端近くにあるカモイワッカ岬が、北緯45度33分28秒であるため、全てにおいて「最北端」になりますが、この話では除外します。
弁天島ってどんな島?
稚内市街から国道238号線を猿払村方面に向かうと、宗谷岬の少し手前に珊内(さんない)という集落を通過するのですが、そのあたりから海を眺めると小さな島が2つ見えます。
海に向かって右側の平らな方が「平島(ひらじま)」、左側の高さのある方が「弁天島(べんてんじま)」です。
弁天島は昔、七福神のうちの一柱・弁財天が祀られていたことからその名が付いたとのことです。
弁天島の諸元は以下のとおり。
■弁天島
所在地 北海道稚内市
座標 北緯45度31分35秒、東経141度55分9秒
面積 0.005km²
海岸線長 0.5km
最高標高 20m
※wikipediaより引用
航空写真で見るとこんな感じ。
珊内の海岸から1.2kmの位置にあります。
島の周囲は岩礁で、海鳥がたくさんおり、昆布やウニの産地となっているほか、たくさんのトドがいることでも有名です。
2017年には約2000頭のトドが弁天島に上陸したとか。狭い島なので、ほとんどトドで埋め尽くされたイメージですね。
当時の動画と思われるものを見つけたのでシェアします。
アイヌ民話に登場するポノサマイクルとトドの戦い
「日本最北端の地」という以外は、これと言って特徴のない島なのですが、北海道の歴史を紐解くと、何度もこの弁天島が登場します。
その中でも印象的なのは、アイヌの民話に出てくる神・ポノサマイクルとトドの話です。文献によってタイトルが「トド」だったり「島にされたトド」だったりで微妙に違うのですが、元の話は同じだと思います。
あらすじは以下のとおり。
北の文化神・サマイクルの息子・ポノサマイクルは、ある日海を見るとサンナイの沖の島に大きなトドがいた。ポノサマイクルはそのトドを捕まえてやろうと、友人のポノオキキリマ(オキクルミの息子)と一緒に船を出し、丈夫な綱をつけた銛で、1番大きなトドを射抜いた。
しかし、トドはまったくくたばる様子もなく、銛が刺さったまま西へ東へ泳ぎ回る。綱で繋がった2人を船ごと曳きずりまわした。
そして八日目、ついに疲れたポノオキキリマが倒れてしまい、ポノサマイクルも諦めて綱を切り、悔しさからこう言った。
「やい、憎いトド奴! お前はただの人間だと思って俺たちをひどい目にあわしたが、いまにみていろ!」
そして、ポノサマイクルはそのトドに、時化(しけ)にあって陸に打ち上げられ、山になって腐って小便をかけられる呪いをかけた。
トドは「何をたかが普通の人間のいうことが」と嘲笑ったが、その後、そのとおりになってしまい激しく後悔した。だから人間だと思ってバカにするものではない、とその大きなトドは言った。
※参考
・更科源蔵氏著 アイヌ民話集
・更科源蔵氏・ 更科光氏著 コタン生物記 II 野獣・海獣・魚族篇
うーむ。
アイヌ文化の素養がない私には解釈が難しいです。なんとなくトドが可哀想な気がするのですが、、
「宗谷(ソウヤ)」の語源は弁天島にあった?
アイヌ民話以外にも、和人の書物の中にもこ弁天島の記録が数多く残っています。
もっとも古いのは、1700年代初めに描かれた「蝦夷之図」で、それには「サンナヒ(サンナイ)の沖の島」が描かれていました。
また、1700年代後半の「西蝦夷地分間」や「蝦夷巡覧筆記」には、「宗谷石(ソウヤ石)」という名前で載っています。
1800年代には、あの北海道の名付け親・松浦武四郎の著書に、「ソウヤ岩」として記載されています。
重ねて言いますが、これと言って特徴のない島が、ここまで記録に残っているのは興味深いです。
この珊内(サンナイ)地区は、今こそ何もないものの、昔は交易の中心地として栄えていたそうなので、その目の前にある島が話題になりやすかったのか、、
はたまた、前述を含めたいくつかのアイヌ民話に出てくる島だから注目されていたのか、、
それとも人を惹き付ける何かを持った島なのか、、、
私の手元の資料だけでは判断できませんが、何か壮大なロマンを感じますね。
で、ここでもうひとつの疑問が生まれます。「ソウヤ石」「ソウヤ岩」という名前です。
もしかしてここが宗谷地方だからそう呼ばれていた?!
たぶん違うと思います。
「ソウヤ」という言葉は、アイヌ語の「ソ・ヤ」から来ており、これは「岩嶼」「磯岩の岸」という意味らしく、弁天島ことを指しているようです。
和人の歴史上、もっとも古く「ソウヤ」という言葉が現れたのは、貞享2年(1685年)ごろ開かれた「ソウヤ場所」(「場所」とは松前藩がアイヌと交易を行う所のこと)だと思われます。
その名前を付ける際に、交易の場であった珊内(サンナイ)の沖にあった岩の名前から取ったという説があるのです。
まあ、これには諸説あるのですが、和人が訪れるずっと前からアイヌたちがこの岩のことを「ソーヤ」と呼んでいたのは確かなので、現在使われている「宗谷郡」「宗谷総合振興局」などの地名の語源は、「ソウヤ岩」、すなわち日本最北端の地「弁天島」であることは間違いなさそうですね。
日本最北端の地のことを調べていたのに、宗谷の語源の話になってしまいました(笑)
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