ベーリング海峡に浮かぶ小さな2つの島、ラトマノフ島とリトルダイオミード島。
たった3.8kmしか離れていないその2つの島の間には日付変更線があります。
人々は、その島たちのことを、「明日の島」、「昨日の島」と呼んでいます。
日付変更線で分断された2つの島、ラトマノフ島とリトルダイオミード島
今回は久しぶりに「島」の話題。
日本の遥か北東・ベーリング海峡に浮かぶ2つの島のお話です。
ベーリング海と北極海の間に、ベーリング海峡という海峡あります。海峡の左側はユーラシア大陸、右側は北アメリカ大陸という、とてもスケールの大きな海峡ですが、狭いところでは幅が86kmしかありません。
そして、その海峡のほぼ中央にダイオミード諸島という2つの島から成る諸島があります。
2つの島のうち、左側の大きな方は「ラトマノフ島」、右側の小さな方は「リトルダイオミード島」という名前です。
たった3.8kmしか離れていないこの2つの島には、世界に類を見ない特徴があります。
なんと、
2つの島の間に日付変更線が通っているのです!
地図で見るとこんな感じになります。
3.8kmしか離れていない2つの島の時差は21時間。日付変更線の左側にあるラトマノフ島の方が、日付的に1日進んでいるのです。実に不思議な状況ですね。
ラトマノフ島で大晦日の夜に除夜の鐘を聞きながら年越しをして、「あけましておめでとうございます!」と言ってすぐに3.8kmの海を渡ったら、そこはまだ大晦日の早朝、というわけです。(もちろんラトマノフ島に除夜の鐘は鳴りませんが(笑))
ラトマノフ島とリトルダイオミード島の基本データは以下の通りです。
■ラトマノフ島
面積:29k㎡
最高標高:505m
人口:0(ただし気象観測所とロシア軍の基地がある)■リトルダイオミード島
面積:7.3k㎡
最高標高:494m
人口:110人(2010年時点)
どうしてこうなった?!
私がまず最初に思ったのは「どうしてこうなった?!」です。日付変更線を決めるとき、なんでそんな狭いところを通したんねん、という感じですよね。
いや、実は日付変更線の設定理由はとてもシンプルでわかりやすいのです。聞けばみなさんも思いますよ。ああ、なるほど、と。
日付変更線がこんな狭いところを通っている理由、それは、、
左のラトマノフ島がロシア領、右のリトルダイオミード島がアメリカ領だからです!
日付変更線の決め方
さて、ここで大きな疑問が生まれます。そもそも日付変更線というのはどうやって決まったのでしょう?
私もこの島のことを知るまでまったく考えもしなかったのですが、日付変更線というのは実は流動的なものだったのです。
日付変更線(正式には「国際日付変更線」)というのは、経度180度(東経180度=西経180度)のラインが基本なのですが、その付近の国々は、それぞれの裁量でどちら側の日付の採用するか選ぶことができるらしいです。
上のグーグルマップに日付変更線が描かれていますが(環境によっては見えないかも)、まっすぐな線ではなくクネクネしていますよね。それは、「私の国はこっちの日付」「うちはこっち」とそれぞれが勝手に決めたからクネクネしてるんですね。
そして、国の政権や政策が変わると、その日付の選択も変わることがあり、これまで何度もこの日付変更線が書き換えられているんだそうです。おもしろいもんですね!
昔はアラスカと共にロシア領だった
さて、ダイオミード諸島の話に戻ります。
日付変更線が諸島の真ん中を通過している理由は分かりましたが、まだ疑問が残りますよね。
なんで、こんな小さな諸島の間に国境があるんだ?!
ということです。
話は19世紀に遡ります。その頃、北アメリカ大陸の一部はロシア帝国の植民地で、アラスカも含まれていました。しかし、1853年に起こったクリミア戦争のためにロシアは経済的に疲弊し、アメリカ大陸から撤退。アラスカに関しては、1867年にアメリカへ売却しています。
その際どこに国境線を引いたか、ということなんですけど、なんとダイオミード諸島真ん中、ラトマノフ島とリトルダイオミード島の間だったんですね。ベーリング海峡のほぼ中央だったからかもしれませんし、単にわかりやすかったからなのかもしれません。
ということで、もともとこの諸島は二島ともロシア領だった(といっても、発見されたのが1648年なのでそれほど歴史は長くない)のですが、1867年に東側のリトルダイオミード島がアメリカ領になったんですね。
先住民族ユピックとイヌピアット
ラトマノフ島は、元はユピックという先住民族が住んでいたようですが、第二次世界大戦の後、国防のため強制的にロシア本土に移住させられており、今は定住者はいません。ただ、気象観測所とロシア軍の基地があるため、無人ではないようです。
一方、リトルダイオミード島は、イヌピアットという先住民族が現在も生活しています。2010年の国勢調査では110人とのこと。ピークの1990年には178人が住んでいたそうなので、減少傾向にあります。
集落は西側の海岸の一カ所のみで、崖っぷちのかなり狭い場所に密集しています。
この写真に載っているのがこの島の町のほぼすべてのようです。すごい場所で暮らしていますよね。でも、考古学者によれば、イヌピアットはこの場所で最低でも3000年は生活しているようです。
どんな生活をしていたのか詳細は分かりませんが、昔は大陸と陸続きだったとか、冬期は海が凍るので徒歩で移動が可能とか、そんな話もありますので、いろいろと昔のことを想像するとロマンが掻き立てられますね。
ちなみに、リトルダイオミード島の島内にはヘリポートがあって、アラスカ本土にあるノーム空港などと定期便で結ばれているようです。冬になると凍った海に滑走路を作るので、飛行機も行き来しているとか日本だと信じられない話もあるようです。
ラトマノフ島の先住民ユピックもリトルダイオミード島の先住民イヌピアットも、広くはエスキモーに属した民族で、ここだけではなく、イヌピアットはアラスカにも、ユピックはアラスカやシベリアにも広く分布しているようです。
気候が厳しいエリアなので、身を寄せ合って細々と生活していたと思うのですが、後から大国に組み込まれたり売られたり退去させたれたり、なんか気の毒な感じですよね。開拓の歴史ってどこもそんな感じですけど、これからは国家がもっと良い方向に機能することを祈っています。
アラスカ周辺の先住民族については資料が少なくて十分に調べることができませんでした。ネットでは限界がありますね。これからもいろいろ調べてみますので、何か分かったら追記していきたいと思います。