マチュ・ピチュ ~ 美しすぎるインカ帝国の空中都市の遺跡の謎

2020年4月29日

今回はペルーにあるインカ帝国の遺跡「マチュ・ピチュ」のお話です。

コロナウイルス関係で、せっかくの休日も家から出られないのですが、今はインターネットという最高の娯楽がありますので、まだしばらくは大丈夫そうです。今日は子供たちとGoogleEarthを見ながら世界各地を旅していました。

その中で感銘を受けたのは、南米・ペルーにある「マチュ・ピチュ」という遺跡です。これはすごいですね。いつか是非行ってみたいものです。

 

インカ帝国の空中都市「マチュ・ピチュ」とは

「マチュ・ピチュ」は現在のペルーのアンデス山脈の中にある遺跡で、15世紀に建設されたインカ帝国の都市です。インカ帝国自体は1533年にスペイン人による征服により滅亡しておりますが、この遺跡は1911年にアメリカの探検家ハイラム・ビンガム3世が発見するまで知られていませんでした。今でも解明されていない謎が多い遺跡で、2007年には「新・世界七不思議」に選ばれています。また、マチュ・ピチュとその周辺の自然環境は1983年に世界遺産登録されています。

百聞は一見にしかず。まずはマチュ・ピチュの写真を見てみましょう。

南側から見たマチュ・ピチュ(Wikipediaより)

この写真の中央にある石造りの街並みがマチュ・ピチュの遺跡です。解像度は高めにしてあるので、ぜひクリックして拡大して見てください。石造りの美しい街並みを見ることができます。



上の写真の中央部の拡大(Wikipediaより引用)

これは上の写真の中央部を拡大したものです。見事な石造りの建造物がたくさんあります。この町には宮殿や寺院、そして約200戸の住宅があるらしいです。このことから都市の規模としては750人程度だったと言われています。

今度は別角度からの写真を紹介します。

北側から見たマチュ・ピチュのパノラマ写真(Wikipediaより)

こちらは北側のワイナピチュという山の山頂から撮影したと思われるパノラマ写真です。中央に薄い緑の部分がマチュ・ピチュの遺跡です。

マチュ・ピチュは、このようにアンデス山脈の険しい山々の尾根に存在しており、その標高はなんと2,430m。両側が崖のような急斜面になっているという、恐ろしいロケーションです。

上の写真の中央部の拡大(Wikipediaより)

拡大画像です。左側の斜面にジグザグな線が入っていますが、これがマチュ・ピチュへ行くための道路になります。ものすごい急斜面ですが、一応、クルマで上れる道路です。マチュ・ピチュは観光客がたくさん来るので、30分に1本のバスが出ているそうです。意外と都会?

さらに遺跡部分を拡大した画像(Wikipediaより)

マチュ・ピチュ遺跡部分の拡大です。ものすごく整然とした階段状の構造になっておりますが、これは段々畑だったようです。

さて、これらの写真を見ると、マチュ・ピチュがものすごく手間をかけた美しい都市だったことがわかりますが、それよりも気になることは、、、

なんでこんなところに都市を作ったんだ?!

ということではないでしょうか?

 

なぜインカ帝国はこんな場所にマチュ・ピチュを作ったのか?

世界有数の山脈であるアンデス山脈。最高峰はアコンカグアの6,960mで、それ以外にも6,000mクラスの山がゴロゴロしています。上のパノラマ写真でも、周りの山々が高く、鋭利で急勾配の険しい様子がよくわかりますよね。

マチュ・ピチュがある場所は標高2,430mということで、そんな山脈の中ではそれほど高い場所では無いのですが、それでも北海道の最も高い大雪山よりも高い場所になります。

ゼロから始めて新しい都市を作るなんて、相当な資材が必要で、それをこんな急斜面の山の上まで運ぶ労力を考えても気が遠くなりますよね。

なぜインカ帝国はこんな場所に都市を作ったのでしょうか?

建設が終わり、住み始めてからも、この場所だと隣の町に行くのも大変そうです。当然自動車が無い時代ですから2,430mの登山ということになりますね。

インカ文明は文字を持たないことから記録として残っていないため、謎が多いのですが、最近の研究で少しずつわかってきたことがあります。

 

インカ帝国では太陽を崇拝していた

インカ帝国は宗教として太陽を崇拝していました。そのため、

・太陽に近い場所
・太陽の観測に適した場所

に都市を作ったのではないかと言われています。インカ帝国の首都はクスコ(現在のペルーの首都でもある)で、マチュ・ピチュよりもさらに高い標高3,400mの場所に存在しています。そのことからも、インカ人が宗教的に高い場所を選んでいるのは間違いと思われます。

また、マチュピチュの高い位置には「太陽の神殿」というのがあり、そこにはインティワタナという一日時計のようなものや、夏至と冬至が正確に分かる窓などがあるとのことです。このことから、マチュピチュでは、太陽を使って観測を行い、暦などを作成してた可能性があるとのことです。

 

2本の断層が交差する場所で良質な岩石が豊富にあった

近年、航空写真による研究と現地調査の結果判明したことなのですが、実はマチュ・ピチュが立地しているのは、2本の断層が交差する場所らしいです。

インカ文明は鉄を持たない文明だったため、建築物はすべて岩石を精巧に切って積み上げるという工法を採用しています。そんな大量の岩石を、こんな山の上にどこからどうやって運んで来たのか、というのも大きな謎だったのですが、それは謎でも何でもなく、



たくさんの岩石がゴロゴロしていた場所に都市を作った

というのが、正解だったようです。

ちなみに、モルタルも使われてない石造りの建物が、500年も壊れずに残っているのは、隙間無く積み上げられている石たちが、地震によって暴れてもちゃんと元の位置に戻るように作られているためらしいです。恐ろしい技術ですよね。

マチュピチュの精密な石造りの例(Wikipediaより)

 

王族や貴族の別荘地だった

マチュ・ピチュには王宮のような建物もあるそうです。首都は別の場所であるにも関わらず、です。さらには、その生活痕から、年間通して多くの人が生活していたわけではないことが推測されるそうです。

このことから、マチュ・ピチュは通常の都市ではなく、インカの王族や貴族のための避暑地や別荘地のような存在だったのではと言われています。

確かにそうであれば、多少不便でも雄大な風景を堪能できる場所に建設されたことは理解できますね。

 
これらがこの場所に都市が作られた理由のようです。こうやって話を聞くと、なんとなく納得してしまいますね。ただし、これはあくまでも現段階までの研究による推測によるものなので、まだまだ隠された秘密があるのかもしれません。

  

マチュ・ピチュはストリートビューで散策できる

そんな魅力的なマチュ・ピチュなのですが、日本から行くとなると遠くてなかなか難しいものがあります。地球の裏側ですからね。

でも、大丈夫です。Google MApのストリートビューで、遺跡内を縦横無尽に歩き回ることが出来るのです。良い時代になったものです。

まずはGoogleマップから。

 
ここで適当なところをクリックしてストリートビューを開いて見てください。周辺の山々でもあちこちにストリートビューのポイントがあります。

実際に遺跡の中はこんな感じです。

ロールプレイングゲームのダンジョンみたいですね(笑) 実際に、矢印をクリックすることで前進しますので、探検しているような感覚になれます。

 

こちらは、ワイナ・ピチュという山の登山道の途中のストリートビューです。眼下にマチュ・ピチュが見られます。高所恐怖症の方は要注意です。

 
と言うわけで、今回はインカ帝国の遺跡「マチュピチュ」を紹介しました。歴史のあるところって、昔の人々の生活や文化が想像できて楽しいですね。