札幌市の北側に位置する都市・石狩市。その歴史は古く、江戸時代は石狩川流域地域との中継点として重要な役割を果たしていたのですが、近年は札幌のベッドタウンという側面が強くなっています。2016年現在の人口は約5万8千人。
そんな石狩市にモノレールを敷設しようという計画があったのをご存じでしょうか?
その名も「石狩モノレール」。事実上、現在は凍結されている計画なのですが、今回はその計画と、札幌圏北部地域交通について考えてみたいと思います。
石狩市の鉄道の歴史
石狩市(1996年までは石狩町)にとって、札幌市までの鉄道の敷設は昔からの悲願でした。その歴史はかなり遡ることができ、明治時代から色々な案が浮かんでは消えていったそうです。軽石軌道という軽川(現在の手稲)から花畔までの馬車鉄道は存在していたことがありますが、1920年に開業して1937年に営業停止という短命な軌道でした。
1956年には石狩鉄道株式会社が設立され、札幌市の桑園駅から石狩町の中心街を通り石狩川河口付近までの鉄道計画が発足しました。実際に工事も着工されたようですが、町議会で色々ともめたあげく、1961年に中止になったそうです。
1970年代に入り、北海道開発庁の「石狩湾新港地域開発基本計画」の中に札幌までの高速軌道を整備することが触れられていました。そんな中、1985年に日本モノレール協会が発表したのが、「石狩モノレール構想」です。これはかなり現実的な構想だったため、石狩町議会はその年に「都市モノレールの導入に関する決議」を可決しました。
石狩モノレールの計画
石狩モノレールの計画は、石狩湾新港から石狩市役所付近、花川の住宅街を通過し、札幌の地下鉄麻生駅か栄町駅へと繋ぐものでした。すごい計画ですね。これが実現してたら、札幌市北区の情勢も今と全然違うものになっていたかも知れません。
ところが、建設費が850億円という膨大な額であったため、平行して検討していたJR発寒駅までの鉄道敷設の方が安価(500億円)になるという検討結果により、モノレール構想はトーンダウンしていきます。
その後、道庁や札幌市でも同様の検証をしており、2001年には「モノレールの麻生ルートは17年目、栄町ルートは16年目に累積赤字を解消できる」とされましたが、すでに当該地域の人口減少が始まっていたため、平成16年度には、需要見込みの再検証が提案されました。
こうやって、モノレールは現在、事実上の凍結状態となっています。
今後の展望と札幌圏北部地域交通
モノレールは頓挫しても、石狩市から札幌への公共交通機関の整備の必要性はまったく変わっておりません。降雪時の幹線道路の渋滞は深刻でバスの定時運転などは夢のまた夢。大勢の乗客が吹雪の中、いつ来るか分からないバスを待っているのが現状です。
現在の行政は財政難でいろいろと難しい面もあるとは思うのですが、困っている人が居るなら、ある程度の非採算性は無視して実施するのが行政なのではないかと私は思います。採算が取れるなら民間がやっていますよね。インフラ整備は行政の仕事です。
あと、この話でひとつ考えさせられたのは、バスの麻生駅集中です。札幌市北区、石狩市からのバスはほとんど地下鉄麻生駅を目指します。ただでさえ交通の要所である麻生はたまらない状態ですよね。大雪が降ると、渋滞でまったくクルマが動かなくなります。
麻生駅周辺の現状と石狩市交通事情を考えた上で、私は提案したいことがふたつあります。
1.札幌地下鉄南北線を北に延伸すべし!
2.バス専用レーンを作るべし!
この提案のポイントは以下の通りです。
・樽川通り(新琴似4番通)の渋滞緩和のため、「新琴似6丁目駅」の新設。バスターミナルの設置。(現在の暖龍のあたり)
・屯田の防風保安林、通称「ポプラ通」にバス専用レーンを設置して「ポプラ通駅」を新設。花川方面、丘珠方面の両方からバスを受け入れる。
・屯田最大のショッピング街である、新琴似通と東15丁目屯田通の交差点付近に「屯田駅」を新設。東15丁目屯田通にバス専用レーンを設置。茨戸、緑苑台方面からのバスを受け入れる。
何も、高速軌道だけが問題解決の方法ではないと思うんですね。バス専用レーンまたは道路を作るだけで、かなりバスの流れは良くなりますし、バスターミナルを分散することで、付近の渋滞も緩和できますよね。
まあこれも莫大なお金がかかる話なので、単なる戯言と思って聞き流してください(笑) ただ、アイデアは色々ありますよ、というお話です。
でわでわ。
<参考サイト>
・軌道系交通機関の実現に向けた取り組み(石狩市HP)
・Wikipedia(石狩モノレール)
・Wikipedia(石狩鉄道)