北海道の歴史

北海道あれこれ

稚泊連絡船|稚内と樺太・大泊を結んだもうひとつの鉄道連絡線

かつて、北海道には青函連絡船という青森と函館を結ぶ鉄道連絡船がありましたが、さらに昔、北海道にはもうひとつの鉄道連絡船があったのをご存じでしょうか? その名は「稚泊連絡船」。北海道の稚内市と、樺太の大泊町を結んだ航路です。  そうです。その昔、稚内は日本最北の駅ではなかったのです。   稚泊連絡船の概要  1945年まで、樺太(現・サハリン)の北緯50度線からの南半分は日本の領有下であり、最大の都...
北海道あれこれ

平取町・義経神社と義経北方伝説

平安末期の武将・源義経の最後をご存じでしょうか? 平氏との戦いで最大の功労者となったものの、優秀すぎて異母兄・源頼朝の反感を買い、平泉の自宅である衣川館を襲撃され、妻・娘とともに自害したのです。これを「衣川の戦い」と言い、多くの人々の同情を買ったことから「判官贔屓(ほうがんびいき)」という言葉が生まれました。(義経の別名が「九郎判官」であったため)   さて、北海道の日高地方にある平取町には、「義...